昨日より、バナナ専用の堆肥を埋め込むための穴掘り作業を行う予定でしたが、生憎の空模様で思うように進められません。今回は、「凍結解凍覚醒法」について、前回記事の続きを少し書かせていただこうと思います。

氷河期を乗り越えたバナナ。現在のバナナの産地であるインドネシア等の熱帯気候でなくとも「バナナは育っていた」と考えられます。では、その寒い気候でも育つバナナをどうやって現在に蘇らせるか。
田中節三氏の発想は、バナナに限らず、「植物の中には、氷河期を乗り越え蘇った力が眠っているはずだ!」という直感から始まりました。
まずは、この氷河期を再現し、そこで生き残れるバナナがあればそれこそが寒冷地でも育つ事のできたバナナになる。その「氷河期を再現する」ことが大きな難関となりました。
冷蔵庫で一ヶ月冷やしてみる、逆に短期間だけ冷やしてみる、氷水に浸けてみる、海水と同じ塩水に浸けてみる・・・考えつくありとあらゆる方法を何度も何度も失敗を繰り返しながら10年。
そう、10年もの長い期間を経てようやくこの「氷河期を再現」することが出来たのです。
バナナのハウス工事は順調に進んでいます。
今回は、ここで栽培される「もんげーバナナ」を産み出した「凍結解凍覚醒法」についてお話しさせていただこうと思います。
ただ、全部を一気に、となるとかなり長くなってしまいますので、まずはその「きっかけ」の部分を。
およそ1万2000年〜1万3000年も昔に、人類がバナナを食べ始めた。そういう記録が残っています。
1万3000年前というと、7万年前から続いていた氷河期の終わりで、「最終氷期」という時代で、バナナの起源と言われるインドネシアも氷河で覆われていました。
その氷河のある時代にバナナが生まれた・・・それは植物の進化から考えてありえない事です。
氷河期が始まる7万年よりも前に、すでにバナナは存在し、氷の中でカチカチに凍っていた。
それが氷河期が終わる事で息を吹き返し、蘇生した。そう考えられます。今は、主に暑い場所で育っているバナナですが、氷河期からその後の温暖化に順応していった。もしかしたら、本来バナナは、実は寒さにも強い性質を持ち、この日本でも栽培は可能な植物ではないか。

しかしながら、その1万3000年も前に極寒の土地で実をつけていたバナナは、すでにこの世には
存在しません。
その、寒さにも耐えるバナナを、なんとか再現できないだろうか。
そんな思いから、気の遠くなるような試行錯誤を重ね、もんげーバナナの産みの親である田中節三氏は「凍結解凍覚醒法」という
魔法のような技術にたどり着いたのです。
この、たどり着くまでの過程はまた後日、ご紹介させていただきたいと思います。
いつもブログを読んでくださってありがとうございます。
このブログが本格的な更新を開始したのが8月の25日。そこからまだ2週間も経っていないにも関わらず、大変多くの皆様がアクセスしてくださり、大変驚いております。
それだけ「もんげーバナナ」という物への関心が高い、という証明なのだと思うのですが、少しづつ、この「もんげーバナナ」がいかにして誕生したか、等のこともここでご紹介させていただけたらと思います。
「もんげーバナナ」の産みの親でもあられます、田中節三氏による著書「奇跡のバナナ」。

この本には、「もんげーバナナ」を実現させた技術の核である「凍結解凍覚醒法」に、いかにしてたどり着いたかが大変面白く紹介されています。
中でも、「物言わぬ植物の心を読み取る」の章で書かれている事からは、「人間社会の一般的な常識」に捉われていると、さもすればバカにされてしまうような事。「植物に感情なんてあるはずがない」「そんな能力が、植物や昆虫に備わっているわけがない」、そういう常識からの目線でしか物を見ることが出来なかったら、決してたどり着く事が出来なかった技術だということが解ります。
事実、田中節三氏の研究は、その何倍もの規模と資金力を持つ、誰もが聞いた事のある食品メーカーの研究室をも唸らせるものでした。

植物の持つ「感情」に寄り添い、長い時間をかけてたどり着いた「凍結解凍覚醒法」は、これからの日本の、いや、世界の食品に対する常識・価値観を変えていくものではないでしょうか。
今後、バナナだけではなく、様々な農作物に応用され商品化されていきます。少しでも多くの方に興味を持っていただき、この「凍結解凍覚醒法」による作物の生産者となられる方が増えてくだされば、大変幸せます。